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金城哲夫アーカイブ

大城 立裕

プロフィール

作家。1967年、『カクテル・パーティー』で芥川賞を受賞。帰郷後の金城哲夫と親交を深める。

 

発言内容

─ 初めて会った金城は?
初対面の時にいきなり、多分、2つの事を言ったと思うんですよね。
自分はもう高校1年の頃から東京行ったけれども、そこで、テレビの、シナリオの仕事に関わったけれども、それに疲れていた頃に沖縄だけにいて、芥川賞もらったってことが非常にショックだったと。自分はこんなもんじゃいけないとまず思って、それから沖縄帰ってきて自分はもう直木賞を目指すんだと言って。
初対面の時にいきなりそこまで言ったと思うんですよね。
 
─ 金城のシナリオを見て
まあ非常に才気煥発というかね、才能有り余る程の才能ですね、ありゃ。シナリオの文学的才能といえば範囲は広いけれども、その中でもシナリオの芸術思想といい技術といい、相当の才能だと思いましたよ。
はじめて書いたのは、劇団「潮」の脚本でしょ? 4・5本書いたと思うんですがね。4・5本、もっとかな? あの年頃で書いたものが舞台に乗るなんて、水準にはまだいってなかったと思うし、結構ちゃんとした芝居になってた。
彼の作品は大体は、薩摩支配の悲劇とそれから琉球処分、明治の。大体その2つが基本になっているんだけど、それに翻弄される沖縄の悲劇、それが基本的な路線ですよね、彼の作品。
その思想はいいけれども、ウチナー芝居としては、ウチナー芝居はもう少し遊びが欲しいなと。
 
─ 悩みごとを先生にお電話で?

たまたま海洋博の何担当といえばいいのかな? なんか広報みたいな事をさせられたんでしょ?
海洋博会場というのはあの、開会式場の前に入江があるんですよね。入江があって、外の海から、そこへサバニが10艘かそこら繰り込んでくるというイベントを組んだわけだよね。映像的にも、かなりインパクトのある場面ですよね。
彼に言わせると、サバニの漁師たちから「報酬が少ない」と相当ねじ込まれたらしいんだよね。彼に言わせると犠牲的精神で、民族的な大事業なんだから、多少は犠牲的な精神で奉仕するべきだと思うんですがと言うんですよね。
「それは君違うよ」と私は答えたんです。君はそう思うかもしれないが、農民は農民で彼らの生活がかかってるしね。悪くいえば、こういう大事業だから少し稼いでやろうと思ったかもしれないが、それは農民精神、農業面の精神なんだから彼らが抗議するのも無理はないと。

これは文学として、あるいはウチナー芝居として、大衆に見せて喜ばれる様になるには、もっとゆとりの雰囲気を芝居の中にもたさなければならないと。ウチナー芝居の特に歌劇なんかを見てごらんと言ってたんですよね。
だから彼ぐらいの才能があって、それを見つけたらまた新しい作家が出たと思うんですよね。
だから、もっとクールに構えて、沖縄の文学を直木賞的なエンタテインメントの切り口で沖縄的文学を新しい文学を作り上げたんじゃないかと思うんですけどね。

 
─ 作品を役立てて行くには?

文学的ではないとは言えませんが、テーマが尖りすぎるんで、もう少しその膨らみ、全体の組み立ての上で膨らみを持たせる事を考えるべきだったなと。しかし、あれであと10年もすれば立派な直木賞作家になって、私の向こうに立つはずだったんですよね。
ある作家が言ってましたよ。沖縄は芥川賞作家が3人も4人も出ているけれども、直木賞はなぜ出ないんですかねと言ってましたね。彼がその直木賞の先鞭をつけるはずだったんだけどね。