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松川 奈里子

プロフィール

金城哲夫の長女。現在は沖縄県内で教員を務める。

 

発言内容

─ 東京の思い出は?

東京で住んでたお家は小さな借家だったんですね。
あの頃は田舎? 自然がいっぱいで裏山があって「どんぐり山」って言ってたんですよ。そこにお散歩に行ったりとか、近くの広場で焚き火をしたりとか。寒かったので冬は。そういう楽しい記憶はあります。

 
─ 沖縄に戻ってきた時の印象は?
生活は一変しました。東京での静かな環境から、松風苑というあの生活なので常に誰かがいる。売買している中での生活になってしまったし、ゆっくり母と話しをしたり、かまってもらう時間もなくなったし。ガラって変わりました。
 
─ お父さんとの思い出

仕事から帰って来ると玄関で「ただいまー!」ってまず大きな声で言うんですね。そしたら私たち兄弟みんな走って行って「おかえりー!」って言って。
今でも覚えているのは、奈里子の一番パパが好きなところは唇なんだよ。あと、爪だったかな? 爪もきれいって言って。そこが好きなんだよなあ。
「へー。」って。「なにを言ってんの、バカじゃない!」って思ったと思うんですけど。

一見とても大らかですごく明るいイメージな反面、繊細、ナイーブな面も持ち合わせているっていうのは、小さい頃からでもそこは感じてたかなあって思いますね。

 
─ しつけは厳しかった?

挨拶は、しっかり言いなさいとか。「ありがとう」とか「ごめんなさい」とかはきちんと言いなさいというのは。「おやすみなさい」は必ずしてましたね。どこに居ても。

 
─ お父さんへの想い

父の仕事に関しては、父が亡くなって私が結婚してから周りの人の話を聞いたりとか、父に関する本を出させてもらったものを読んで「あ、こんなに大変だったんだな」って。
分かってればもう少し優しくできたのにな、って逆に反省しています。

 
─ お父さんの死

受け止められなかったですね。何がなんだか。父の死っていうのを。逆に何ていうのかな、私のせいじゃないかなとか思った時期もあったりして。
だから父の思い出っていうのは私の中では封印していた時期もありました。

結婚してからでしょうね。父の本が出されたりとか、父が何年かおきに話題に。すごいありがたい話なんですけど、そういう時は、ぽっと父の話を一緒に思い懐かしむ事もできるようにもなってきたんですけども。
本当に有難いです。こうやって忘れられないで。40年以上も亡くなって、普通だったらもう忘れられてるんだけども、いつまでも輝いて、思い出としてね。

 
─ 十三祝いの着物姿を見ていた

ちょうど桜の木の前で集合写真撮ったんですけど、桜の花が満開で。あれ以上に咲いた事ないんですけど、あれ以来。すごい綺麗に咲いていたのを覚えています。
本当は花嫁姿を見せてあげたかったし、私は孫がいるんですね、なのでひ孫も見せてあげたかったなって思いますね。